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【番外編】 私立中学の実態

しばらく娘の転学が決まり、
バタバタしていて更新できませんでした。

先週末にギリギリ手続きが終わり、
今週何とか転学先の公立中学で始業式を迎えられました。
2年間、トラブルがない事を祈ります。

転学に関するお話は時系列に沿って
改めて書き記すつもりですが、
それよりも今回の転学に対応した私立中学の実態が
あまりにもショックだったので
番外編としてお伝えします。

最終的に学校自体の方針なのか、
担任の個人的攻撃なのかは定かでないまま退学したのですが。

まず事の発端は娘の問題行動が原因ですので、
それに関しては深く反省し、
このような結果になった事も重く受け止めております。

入学してすぐに担任に対する不信感を持ち始めたのは
コロナで緊急事態宣言が発令された4月の事でした。
自宅学習となり、オンラインで出された課題をこなして
メールで提出する授業だったのですが、
朝の出席点呼不在から課題の提出漏れに至るまで
全てクラス全員の掲示板に名指しで書き出され指摘されました。
しかも嫌味たっぷりのコメント付きで。。。

個々に連絡がとれるわけですから、
個々に不備等連絡すればいいだけの事なのに。
あからさまにさらし者にする性格の悪さに嫌悪感を抱きました。

登校が始まった2学期では
小テストで他クラスより成績が悪いと怒るそうです。
あきらかに自分の株を上げることしか考えていないと思いました。

そして3学期。

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娘が問題行動

事実確認/この時担任が自主退学を本人に勧める

処分通知/退学処分ではなかったが担任が娘に「通学を続けるのであればクラス全員に話をする」と脅す
また修了式は休んでも構わないと言われる

修了式欠席後、担任から電話がかかってくる
上記対応に娘が傷つき自主退学すると伝えると「それは全て娘が退学を望んだからだと言い返される」
娘なりに責任を感じて退学を覚悟していると伝えただけなのにそれを逆手に取る担任に呆れて自主退学を決める

翌日(平日)日中自宅に電話があり、娘に直接今日の19時までに捺印が必要と伝える(有り得ない)
娘が私と主人に連絡をとりその旨を説明する
捺印理由として4月分の引き落としを止めるのに間に合わなくなるのでとの事
お互い仕事で行けるわけもなくその後電話で明日の午前中で間に合うと言われる

学校へ行くと引き落としが間に合わなかったとの事を伝えられる(来た意味がない)
その場で退学理由を書かされる(多分余計な事を書かれない為に呼び出したと思われる)
担任に勧められたからだと伝えると、担任ではなく学年主任が狼狽して全否定する

その後受け取った期末テスト結果で唖然とする
娘の英語2教科だけがクラス最低点になっていた

補足1:担任は英語担当
補足2:1つは47点(学年最低点7点)もう1つは57点(学年最低点17点)

うちのクラスだけ英語の成績が高すぎる
明らかに改ざんして娘の点数を最下位にしたとしか考えられない
娘の問題行動の比ではない

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ざっと書くとこんな感じです。
発達障害の事は事前に学校側へ伝えておりました。
でもこの対応です。
進学校に発達障害児の居場所はないんですね。

今、娘は公立中学に温かく迎え入れられ心機一転頑張り始めました。
もちろん発達障害の事も親身になって対応して頂いてます。
この話はまたあらためて。



# by drunkcat0220 | 2021-04-07 17:20 | 私立中学校【番外編】 | Comments(0)

1月18日

兄が実家に居てくれるようになったので、私は少し気が楽になりました。

しかし、この日を境に兄からのLINEがひっきりなしに送られてくるようになりました。
その殆どが父の異常行動により振り回されている内容でした。

 暇さえあれば食べ物を漁り、リモート中の兄に「これはどうやって食べるのか」と毎回訪ね
 兄が会議中で対応しないと水分しか摂れなくなってしまった母に食べるものを要求する。
 フラフラの母が兄を呼び「お父さんに何か食べさせてやって欲しい」と頼む有様。

 急に兄から電話がかかってきて何事かと思えば
 <父が駅前までパンを買いに行くと言ってきかないので止めて欲しい>と。
 電話を代わってもらい、まず私が娘かどうか理解しているかの確認をし(この時は理解していた)、
 兄が買ってきてくれるから待つように諭して電話を切る。
 ほどなく兄からLINEが入り<私に勝手に電話をしたと怒鳴り散らし、罵声を浴びせてきた>と激怒。

 夕方閉めた雨戸を夜中に開け始め、何故開けるのか咎めると
 「だから閉めているだろうが!」と真逆の事を怒鳴ってくる。

こんな状況が日夜続き、兄は1日目にしてくたびれ果てていました。
本来この日は母の定期健診の日。
あれだけ事あるごとに「母の定期健診が」と言っていた父だったのにすでに何一つ覚えていなかった…

病院へ連絡をし、定期健診に行けない容態だと伝えると
来院すれば入院の対応も出来ると案内されました。


午後にケアマネージャーが来宅。兄は

 母のオムツやシーツが度々漏れてしまい交換するにも母が嫌がって大変な事
 母が食事を全く摂らなくなってしまったので体調が心配な事
 父が異常行動をとり、手に負えない事


などの現状を説明し、自分だけではどうしようも出来ない事を伝えました。
ケアマネージャーは病院へ連れていくことを勧めましたが、
母が頑なに断り動こうとしないので諦めざるを得ませんでした。

父も病院へ連れていき診察するように勧められましたが
母同様頑なに拒み、病院へ連れていける状況ではありませんでした。

結局何の解決も出来ないまま時間だけが過ぎていきました。

私は兄にあと一週間だけ頑張って欲しいとLINEし、
1月25日に控えた娘の公立推薦受験さえ終われば一度実家へ戻ると伝えました。




1月19日

母が食事を摂らなくなって4日目。

兄とは頻繁にやりとりしていましたが何の進展もなく
相変わらず2人はこの状況に及んでも実家で生活しようとしていました。

兄と私はこのままだと母が死んでしまうとリアルな話をするようになりました。
午後になり来宅したケアマネージャーと相談し、
両親の了承は得ずに介護タクシーを使って病院に連れていくことに決めました。

病院に連絡すると午後からの受け入れは終わっているので
明朝来院するよう指示を受け、介護タクシーの手配をしました。


あまりにも心配なので電話をかけると父が出ました。
私の事を理解しているのかしていないのかさえもう判りませんでしたが母に代わってもらいました。

 母「何?」
 私「いや食事も摂れてないようだし大丈夫?病院連れて行ってもらった方がいいよ」

と言った途端、

 母「@=%&#$! 何かあったら連絡するっ!」

とものすごい剣幕で怒鳴りました。

私は驚きとショックと怒りと悲しみと何が何だかわからない感情がこみ上げてきて「あっそ」
とだけ返事すると電話を切りました。

これが母と交わした最後の会話でした。



たった90日で実家が崩壊した件(9)につづく
# by drunkcat0220 | 2024-05-11 11:56 | たった90日で実家が崩壊した件 | Comments(0)

1月13日

+++++++++++
娘の公立高校出願
+++++++++++

夕方出ていく父の姿をカメラで確認し、兄に連絡しました。

1時間ほど経って玄関に父と誰か男性が入ってくる様子が映り、
男性はすぐに帰っていきました。母が出てくる様子もありません。

再度慌てて兄に連絡をすると事の顛末を話してくれました。

 父がいきなりかかりつけの町病院へ行き「財布を盗んだ」と院長にくってかかり、
 なんとか院長と看護師さんになだめられ、院長が車で自宅まで送り届けてくれた。


嘘でしょ? どんどん父が壊れていく。
2か月前、普通に会話の出来ていた父に何が起こっているのか。

仕事が終わり次第、兄が自宅に向かうことになり、
私はずっとカメラを見ながら再び父が外へ出てしまわないか確認していました。
その間も母の姿は全く映りませんでした。

万が一の事ばかりが頭をよぎり電話をかけようかと思いましたが、
パニックになっている父をさらに興奮させて事が大きくなっても困ると思い、ひたすら兄を待ちました。

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この件に関しては後日兄が病院へ謝罪に行き、理解を得ました。
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1月14日~15日

その週末ケアマネージャーと打ち合わせの為、兄が前日から泊まりました。
父の状態把握もあったのですが、何か質問をしても都度母に確認しようとして話にならないので
母にはデイサービスに行ってもらっていました。

しかし1時間ほどしてすぐに電話がなり「調子が悪くずっと横になったままなので自宅へお送りいたします」と。

戻って来た様子を監視カメラの映像で見ていましたが、
両腕を抱えられて玄関に入って来た母はフラフラでした。

父が食事の支度も出来なくなってきていたので
この頃から兄が宅配弁当を契約して毎日配達してもらっていました。
しかし母は「1人前も食べられない」と言って宅配弁当は1人前だけになっていました。

日に日に食が細くなっていく母にケアマネージャーや兄や私が入院を勧めても頑なに首を振らず、
辛うじて一口のご飯とインスタントのお味噌汁を口にするだけの生活だったと思います。

 母の性格を知る私たち兄妹は、この時すでになんとなく母が自分で死に向かっているとわかっていました。
 壊れていく父を眺めながら何か覚悟を決めたのだと思います。


逆にこの頃から父はどんどん壊れていき、食べる物への執着が激しくなり、
目の前に置いているパンやお菓子を片っ端から食べていました。

そして事あるごとに「母を1月18日に定期健診へ連れて行かないといけない」とパニックになりました。
その度に兄は「俺が連れて行くから大丈夫」となだめていましたが、
パジャマの上下も判らないのにこの予定だけを覚えてて何度も繰り返す父を見て悲しくなるばかりでした。


1月16日

兄が介護休業(リモート出勤)の手続と仕事の引継ぎのため、一度自宅へ戻りました。

 そしてこの日から母は全く食べなくなりました。


1月17日

この日はお昼ごろにリハビリの方が来て下さる予定でした。
防犯カメラの通知音が鳴りカメラを確認してみると、リハビリの方が玄関で誰かに電話をしていました。

<ヤバイ!>

慌てて実家へ電話をかけると父が出ました。

「リハビリの方来てる?」「キテルヨ」「ちょっと代わって!」

「お世話になっております。私は娘です。何かありましたか!」

 リハビリに来たんですけどお母様が起き上がれない状態で、オムツもシーツも濡れていらっしゃって。
 寒いとおっしゃられたので今ベッドからホットカーペットの方に降ろさせていただいて
 オムツ交換だけさせていただいたんですけど。
 お水が欲しいとのことで少しお飲みになったんですが、リハビリ出来る状態ではなくて。
 ご主人様にお話したんですが、ちょっとお話が通じなかったので今ケアマネージャーに連絡とっていました。


「ご迷惑おかけして申し訳ございません!」

 いえいえ。とりあえずもう少しでケアマネージャーが来てくれるとの事なので
 ボクは一旦お引き取りさせていただきますね。

「ありがとうございました!本当にご迷惑おかけし申し訳ございませんでした!」



あーもう終わりだ。何もかも終わり。この状況も分からなくなっている父。
オムツが濡れて気持ち悪かっただろう。シーツまで濡れて冷たくて寒かっただろう。
ごめんね、お母さん。
もう母を入院させる以外、今2人が助かる道はない。

そしてこの日から兄は実家に泊まり込み始めました。



たった90日で実家が崩壊した件(8)につづく
# by drunkcat0220 | 2024-04-27 13:56 | たった90日で実家が崩壊した件 | Comments(0)

12月31日

大晦日はどうやって過ごしたのかあまり記憶にありませんが
おせち料理が届いたかの確認をしたり、防犯カメラで様子をチェックしていたように思います。



1月1日

お正月。我が家はいたって穏やかでしたが、気持ちは落ち着きませんでした。
お昼ごろに電話をかけておせち料理を食べたかと聞いても父からはいい加減な返事しか返ってこず、
お正月の理解も出来ていないのではないかと寂しくなりました。

母はベッドに寝たきりでせっかくのおせち料理も口にしていないのではないかと思うと
年末に私だけでも残って2人にお雑煮でも作ってあげれば良かったなどと出来もしない事を反芻しながら
早く明日が来てほしいとばかり考えてました。明日になれば兄が帰省してくれる…



1月2日

朝から防犯カメラを何度もチェックしますが一向に兄が来た気配がありません。
イライラしながら午後になり14時を過ぎた頃でしょうか、見知らぬ女性が玄関に入ってきました。

<何かあった?!>

ヤバイと思って慌てて実家に電話すると父が出ましたが話になりません。
「誰か来てる?」と聞くと●さんの奥さんが来てると言いました。

<どうした?またゴミかなんかでしでかしたか?>

急いで奥さんに代わってもらい話を聞きました。
奥さん曰く、心配だったので様子を見に来たら朝から2人とも何も食べてないと。
お雑煮をと思ったけど具材が何もないからジャガイモと人参を入れて作っている最中だと。

<雑煮にジャガイモと人参って…>

私は平謝りしつつ、とりあえず2人が倒れたりしていない事がわかり安心しました。
そこへ兄が入ってきました。

<こんな遅い時間に来て何やってんだ!>

と怒鳴りたい気持ちでしたが、兄は兄で、前日は嫁の実家へ挨拶に行き夜遅くに帰宅し、
朝から実家用に買い物をして来てくれた事を考えると何も言えませんでした。

とりあえず、今日は何とかなる。
朝からのイライラと焦りがようやく落ち着き、夕飯の準備を始めました。



1月3日~6日

この間はどうやって過ごしたのか全く覚えていませんが、
毎日電話をかけて2人と話をして安否確認をしていたように思います。



1月7日・8日

週末になり、兄が帰省してケアマネージャーと今後について話し合ってくれました。

私としてはすぐにでも2人を施設に入所させて欲しかったのですが、
手続きは容易ではなく、来週以降ケアマネージャーが様子を見に来ることと、
ヘルパーさんが週3で来てゴミや食事の介護をしてくれる事だけが決まりました。

母が毎週2回通っていたデイケアサービスは父が管理できなくなってしまったため、
行っていたのかどうかさえわかりませんでした。

週に2回のリハビリの先生は来てくれていたように思います。

この頃私は母に「もう少しだけ頑張ってね」とばかり言っていました。
精神的にもキツく、子供がいなければなどと有り得ない事まで考えていました。



1月9日~

この週のどこか忘れてしまいましたが昼頃に珍しく母からの着信がありました。

新しい物好きの母はガラケーが出た途端に所持し、
器用に絵文字も使ってメールを送っていましたが
この頃には電話ひとつかけることも難しくなっていました。
そんな母がどうやってかけたのか。

久しぶりの着信に嬉しくなり急いで電話に出ると、

「お父さんがおかしい」と言い始めました。

<ん?おかしくなっているのは確かだけど、もしかしてこの1ヶ月気付かなかったのか?>

「何かあった?」と話を聞くと

「台所の湯飲みにお茶が満杯に入ってる、もうこぼれそうなぐらいスレスレに」と言います。

「あ~わかんなくなっちゃってるね(笑)」と軽いノリで済ませようとしましたが、母は

「もうダメだね」とポツリと言いました。

その時の私は母の心境に全く気付くことが出来ず、さきほどと同じように

「(笑)しょうがないね、あと少しで施設に入所できるからちょっとだけ待ってよ」と軽く応えました。

すると母は「しゃーないね」といつもみたいに言いました。

そこから2人で「しゃーない(笑)」「しゃーない(笑)」と笑い合い電話を切りました。



でも母の(笑)は作り物だったのです。母の心の中で覚悟が出来た時でした。



たった90日で実家が崩壊した件(7)につづく
# by drunkcat0220 | 2024-04-17 09:34 | たった90日で実家が崩壊した件 | Comments(0)

12月24日

その週末に兄が●さん宅へ伺い、電話で聞いた内容と全く同じ話をしてきました。

父の様子を聞くとすでに物事の判断が曖昧になっており、
このままでは母の介護どころか父自身がいつ介護される側になってもおかしくない状態だと。

早急に母のケアマネージャーに連絡をし、施設への入所を見据えた介護計画を相談しました。
とは言いつつも年の瀬を迎え、各種手続きの窓口は年末年始休暇目前で実質的な話は2週間後にならざるを得ませんでした。

兄は大晦日ギリギリまで仕事を抱え、私も受験を控えた娘の最後の追い込みをフォローしなければならず
付きっきりで両親の世話をすることは不可能でした。

取り急ぎ年明け早々に対処できるよう父の介護認定の申請をし、
要介護4だった母の点数で使える限りのヘルパーを要請。



12月25日~29日

私が帰省する12月30日までの5日間、なんとか生活できるよう兄に食料や日用品を揃えてもらい、
ケアマネージャーと兄と私が毎日連絡する形で様子を見ることにしました。

その間私は帰省した際に出来る限りの事が出来るよう準備をしました。
その中でもっとも役に立ったのが玄関(屋内)用に購入した防犯カメラ。
このカメラによっていくつものトラブルを回避できました。



12月30日

朝から3人で実家へ出発。お昼過ぎに到着したものの、誰も出迎えない。
母はベッドで寝ており、父はリビングから出てこないでテレビを見ていました。

今までこんな事は一度もなかった…

とりあえず荷物を降ろし、手土産を持って●さんの自宅へ向かいました。
ゴミ出しの愚痴と嫌味を言われながら頭を下げ、虚しくなりながら自宅へ戻りました。

滞在出来る時間は8時間弱。とりあえず水回りの掃除を始めつつ、
主人にはリビングから客間(その時は母の寝室になっていました)へ続く廊下にある
玄関脇の柱に防犯カメラを設置してもらいました。

娘には父の相手を頼みましたが「会話にならない」と言って携帯で時間を潰していました。

掃除をしているとフラフラと母が起きてきて「何のお構いも出来なくてゴメンな」と言われました。
「いいよ、とりあえず掃除するから寝てな」と返事をすると
「そうさせてもらう」とまたフラフラとベッドへ戻りました。

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その1か月後にいなくなってしまう事がわかっていれば
掃除なんかしてないで、もっと母の傍に寄り添ってあげたのに。
もっともっと会話しておいたのに。悔やんでも悔やみきれない。
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気付くと母の部屋にいた娘が私に「これもらった。形見にしてほしいって」と言って
大したものではありませんがいくつかのアクセサリーを見せにきました。

「形見って…」となんとも言えない気持ちが込み上げてきたところに母が寝室から出てきたので

「いいよ、こんなの!形見とか渡さなくて!縁起でもない!」と語気を荒げて突っかかってしまいました。
母は小さい声で「そんな言い方しなくても…」と悲しい顔をしました。

そして母は一言「施設に入りたい」とつぶやきました。

9月に帰省した時も頑なに<死ぬまで実家にいる>と言っていた母が
何故急に施設を希望したのかは問いただしませんでしたが、
「うん、その方が楽だと思うよ。今お兄ちゃんと2人で入れる施設を探してるからね、
年が明けて手続き出来るようになるまでなんとか頑張ってよ」と言うと、
「うん、わかった」と小さく応えました。

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今思えば娘として最低です。なんで突っかかってしまったのか、そんな言い方をしてしまったのか。
でもその時の私はそう言わずにいられなかったのです。
年が明けたら2人で施設に入所して、もっと長生きしてくれると思っていた。
そしてそれは自分にとって都合のいい憶測で、2人の気持ちや体調を何も理解してあげていなかった。
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最低限の掃除が一段落してリビングで休憩していると
父が台所で自分たちの食事の支度を始めました。

朝食なのか昼食なのかわかりませんでしたが
2人でインスタントのお味噌汁が作れず四苦八苦していました。

リビングに居る私に「これは味噌汁か?」と持ってきますが、
それは<ほんだしの粉末>だったり<お茶漬けの素>だったりと無茶苦茶でした。

2人でこれでもないあれでもないと困っていましたが、
ここで私が全てやってしまうと2人だけになった時に何もできなくなってしまうと思い、
敢えて手伝いませんでした。

最終的に2人は味噌の入っていない具だけの味噌汁を作っていましたが
2人がその顛末を笑っていたので、まだしばらくは何とかなると思ってしまったのです。
何ともならなかったのに…

同じ家の中にいながら私たち3人と父と母は違う世界にいるようでした。
もう同じ食卓で楽しくお酒を酌み交わす事も出来なくなってしまった。
私たちは来る前にコンビニで買ってきたおにぎりやパンを齧り、昼食にもならない昼食を済ませました。

その間も父がパジャマの上着をズボンと間違えて履こうとしていたので、
パジャマのズボンを探しましたが見当たらず、慌てて近所のホームセンターへ買いに走ったり
息つく暇がありませんでした。

虚しくなりながらも帰る時間は迫ってきます。
食べる事も出来ないだろうと鏡餅は準備しませんでしたが
神棚を祀っているので榊と三宝餅を購入しておきました。

それとなく母に「この榊活けること出来る?」と聞くと「ああ!榊買ってきてくれたの!」
と嬉しそうに笑顔を見せてくれました。そして「やるやる!」と不要な枝葉をカットし、榊立に活けてくれました。
母は茶道や華道の師範資格を持っており、ほんの数年前まではお正月になると立派な花活が玄関に飾られていました。

せっかくなので父に「この榊、上の神棚に供えてくれないかな?」と言うと
ヨロヨロしながらも椅子に乗って手を伸ばし神棚に供えてくれました。前後ろ逆でしたが(笑)

母が活けて父が供える

毎年年末に私が幼少期から見てきた光景。
この時2人が私の「お父さん」「お母さん」に戻った瞬間でした。


もう時間がありません。
大きな字で、お蕎麦を食べること、明日おせち料理が届くこと、
1月2日には兄が帰省することを書いてテーブルに貼り、帰り支度を始めました。

そんなタイミングで母が「近くに生寿司の美味しいお店があるから買ってきて食べる?」と聞いてきました。

<遅いよ、言うのが…>

「いいよ、大丈夫。適当にお昼食べたし」と笑顔で返しましたが
今思えば母が食べたかったのかもしれません。買ってきてあげれば良かった…



午後7時を過ぎたところで「そろそろ帰るね」というと母がコートを着だしました。
「いいよ、いいよ送らなくて」と言ったのですが「大丈夫」と言って聞きません。

父は寝てましたが。www

そういえば今回の帰省で1枚も写真を撮っていなかったことを思い出し、母と娘の写真を撮りました。
すると珍しく娘が「お母さんとおばあちゃんも撮りなよ」と言い始めました。
私は写真を撮られるのが好きではないので「いい、いい」と拒み、代わりに主人と娘と母と3人を撮りました。

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この写真が生前の母の最期の写真となりました。
一緒に撮っておけば良かった。ごめんね、お母さん。
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そしてすっかり暗くなった玄関先で「また来るからね」と言い残し、
角を曲がって見えなくなるまで母は手を振ってくれました。

それが母との最期でした。



# by drunkcat0220 | 2024-04-09 13:20 | たった90日で実家が崩壊した件 | Comments(0)

クリスマス前の12月23日金曜日。
主人は会社、娘は終業式。

12月20日付で退職した私は自宅で会社のデータ整理をしていました。
膨大な画像データや印刷データをごみ箱へ投げては
もしかするとこのデータの問い合わせがあるかもしれないと
またゴミ箱からフォルダに戻すといった意味のない作業を繰り返していました。

そろそろお昼だなと思っていた頃、私の携帯が鳴りました。
真っ先に頭をよぎったのは娘の事。

年内最後に何かやらかしてしまったのかと恐々携帯を覗くと
実家のある地域の市外局番から始まる見たこともない電話番号。

母親が倒れて病院からかかってきた電話かもしれないと思い、慌てて通話をクリックしました。
すると電話口から聞こえてきたのは聞き覚えのない男性の声。

「○ちゃんの電話か?」

と私の下の名前を「ちゃん」付で話しかけてきます。
不信感はありましたがとりあえず「はい」と返事しました。

「覚えているかな?近所の●です」

そこで初めて電話口の人が実家の2件隣に住んでいる方だとわかりました。

(●さんは私たちがまだ実家にいた頃、自治会の会長をしていて住宅内で幅を利かせていました)

私「ご無沙汰しております」

●「今大丈夫か?」

私「はい」

●「おたくのご両親もうヤバイよ」

私「は?」

●「すぐに何とかしないと2人だけでは無理」

私「どういう事でしょうか?」
 「確かに9月に帰省した時に母だけでなく父も判断できなくなりつつあったので
  年明けには施設へ入所させようと兄と相談中なんですが」

●「ダメダメ、そんなの間に合わない!」
●「どっちでもいいから明日、明後日にでも帰ってきなさい」

(何で命令なんだ…)

私「申し訳ございませんが私にも家庭がありますし、
  ご存知の通り遠方に住んでいるので今日明日には動けません
  12月30日に行く予定はしています」

●「いやあのね、ゴミ出しが出来なくなっているのよ」

私「は?ゴミですか?」

●「分別が全然できてなくて、生ゴミもビンも缶も無茶苦茶に入ってて
  役所に怒られてボクが集積所で毎回分別しているのよ」
●「それでお宅へ伺ってみたんだけど、ご主人は奥の部屋から一歩も出てこないしね、
  お母さんに話をしても話が通じないのよ
  これはヤバイと思って〇ちゃん(私)の電話番号を聞いても知らないっていうしね、
  お兄さんの電話番号を聞いても知らないっていうし」
●「なんとかお母さんの携帯借りて〇ちゃんとお兄さんの電話番号見つけたのよ」

私「…色々とご迷惑おかけして申し訳ございません」

●「いやいや長い付き合いのご近所だからね、僕たちもいずれはそうなるわけだし
  ただこのまま放っておいたらダメだよ、アナタたち兄妹でキチンと世話しないと」

私「はぁ」(放っておいてるわけではない…)

●「育ててもらった親を無碍にしちゃダメだ」

私「はぁ」(誰が無碍にした?)

●「僕たちはアナタたちの両親の世話は出来ないからね」

私「はぁ」(そんな事はわかっとる、てか頼んでないし)

●「で、もうお父さん体力もなさそうでね」
 「スーパーも行けないと思うよ」

私「食材や日用品は私がコープに頼んで配送してもらっています」

●「え、そんな遠くから出来るの?」

私「はい…」(この電話いつまで続くんだ…)

●「まーそれならそれはいいや、でもゴミがね」

私「申し訳ございません」(再度ゴミにリターン)

●「いやいや長い付き合いのご近所だからね、お互い様だし出来る限りのことはしますよ」
●「でね、▲さん覚えているかな?」

(▲さん=さらに2件先の方)

私「あぁはい」

●「▲さんもね、足腰悪くなってね、奥さんは糖尿病でずっと前から入院しててね」

私「はぁ」(プライバシーもクソもないな…)

●「息子2人いたでしょ、ボクあの子たちに怒ったのよ」
●「子供が責任ちゃんととらないでどーする!ってね」
●「今は毎週どちらかが来て世話してるよ(笑)」

私「はぁ」(何様なんだろうか…)

●「ただ息子たちも毎日は来れないからね、ゴミ困るでしょ」
●「だから役所にお願いして集積所でなく家の前まで来てもらうことにしたみたい」

私「はぁ」(再再度ゴミにリターン)

●「で、アナタたちに急に実家のゴミをなんとかしろって言っても出来ないでしょ」
●「だからボクの方でAmazonでゴミ箱注文しといたから」

私「へ?」

●「お母さんに『ご主人ゴミ出し出来なくなってるから買いますよ』って了承得たから」
●「大丈夫、お金は立て替えてるから次帰って来た時に払ってくれれば」

私「はぁ」(子供の電話番号も見つけられない母に了承もクソもないだろう…)

●「で、しばらくはそこに入れてくれたゴミをボクが集積所に持っていくから」

私「…申し訳ございません」(頼んでませんけど)

●「いやいや長い付き合いのご近所だからね、お互い様だし出来る限りのことはしますよ」

私「はぁ」(いちいち恩着せがましい)

●「とりあえず〇ちゃんは12月30日に帰ってくるのね?」

私「はい」

●「じゃぁ帰ってきたらどれだけ忙しくても一度ボクの家に来て」

私「え?」

●「これからの事話し合わないといけないでしょ?」

私「はぁ」

●「今からお兄さんに連絡するから」

私「日中仕事だと思うので夜にしていただけますか?」

●「ああ、そうか」

私「私から●さんからご連絡ある旨伝えておきますので」

●「はいはい、ご両親の事アナタたち兄妹でキチンと話し合いなさいね」

私「はい…色々とご迷惑おかけして申し訳ございません」

●「いやいや長い付き合いのご近所だからね」

私「…失礼いたします」



電話切った瞬間、一人で「はぁ?」と叫んでしまった。www

約1時間、延々と続いた電話。
とどのつまりが<ゴミ出しが無茶苦茶で迷惑だから何とかしろ>って事だった。

速攻兄に「手が空いたら電話くれ」とLINE。連絡をくれた兄に諸々伝えました。

★ゴミ出しで迷惑かけている事
★なぜかゴミ箱購入されている事
★ゴミ箱代持って謝罪に行かなきゃいけない事
★兄にも電話がかかってくる事

もちろん兄の返答は私同様「何様なんだ」って。www

ただ、迷惑かけていることは事実だし、
父の認知度が思った以上に急スピードで低下しているようなので
今週末に行ってくると言ってくれました。



兄との連絡を終えて今度は実家へ連絡。
その時に受話器を取ったのが母だったのか父だったのか覚えていませんが、
2人もゴミ出しの話で●さんが来宅した事を全く覚えていませんでした…

あと1週間でお正月。
あと1か月で娘の受験。

タイムリミットだらけの案件を抱えて年末に突入しました。



因みに請求されたゴミ箱代は13,000円
そのゴミ箱、160cmほどの段ボールに入ったまま未だ開封されず実家の玄関に鎮座しております。www



たった90日で実家が崩壊した件(5)につづく

# by drunkcat0220 | 2024-04-01 11:35 | たった90日で実家が崩壊した件 | Comments(0)