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私立中学生(2)

登校出来ないまま夏休みに入り、
自宅でひたすら課題をこなして毎日を過ごしました。

そして9月。

体育祭は大縄跳び大会に変わり、
文化祭は学習発表会に変わりました。

学習発表会はクラスの中でグループに分かれ
それぞれに何か議題を決めて調べ、
スライドにまとめるというものでした。

みんなと打ち解けて作業できるか心配はしていたのですが
この時もつらい思いをすることとなりました。

娘には
「自分から何か手伝えることがあるか話をしないとサボってるように思われちゃうよ」
と声をかけていましたが、

いつも「やってもらうことが出来たら言うよ」と言われるだけだと言っていました。
薄々ハブられてるなと感じていたので心配はしていましたがとりあえず様子を見ていました。

発表会1週間前になってもスライドの製作が
出来ていないみたいだったので大丈夫?と聞くと
仕切っている女子2人だけが話をしていて
他の男子や私はよくわからないままだと言いました。

誰かスライド作れる人はいるの?と聞いたら
男子の一人が少し作業できるくらいだと。

簡単なレジュメみたいなものは持っていたけれど
ギリギリになって何も手伝ってないと言われそうな気配がしたので
念の為に簡単なスライド作っておけば?とフォローしました。

娘はそれに従いパワーポイントを使ってスライドを作り始めました。
そして最終的にそのデータが起用されたのですが、
仕切っている女子が添削し、先述していた男子生徒が
修正および演出効果を付け加えて仕上がったようでした。

それでも私的にはそれなりに娘も参加し、
成果を出したのだから評価はされているものだと思っていました。

ところが。

前回の【余談】にもあった12月の個人面談で担任から言われた内容は


1 ○○さんはグループで集まるときに居なくて
  一人だけ部活に行っていたとグループの女子から苦言が出ていた。
  自分(担任)も一緒になって探したらしい。

2 スライドを勝手に作ってきたけれど内容は私たち(他の女子)の意図と外れていた。


というものでした。しかし実際には


>1 「やってもらうことが出来たら言うよ」と言われ参加させてもらえなかったから部活に行っていた。

>2 最終データを見せてもらったら8割は娘の作ったデータのままだった


この時に私が反論して上記内容を伝えれば良かったと今でも後悔していますが、
あの時の私は精神的にも参っていてそこまでの判断能力がなく、
言われた内容に対して謝罪してしまったのです。親として娘を守ってあげることが出来なかった。
情けない限りです。


私立中学生(3) につづく
# by drunkcat0220 | 2023-03-20 08:40

私立中学生(1)

4月入学式。

上から下までブランド制服の娘は勝ち組に見えて
親の私たちもいつもより容姿に気を遣いました。
(今となってはそんな感情を抱いた自分を恥じます)

この頃の国内はコロナに対しての緊急事態宣言が発令された直後で
入学式の参加はどちらか1人と決まっていたため私が参列しました。

本来ならば幼稚舎から大学生まで揃う
壮大な入学式だったのですが、それも叶わず。
校内の講堂で行われた入学式は必要最低限の入学式でしたが
教室から入場してくる娘の姿に
新しい充実した日々が始まると感動していたのを思い出します。

しかし授業はリモートとなり自宅での新学期となりました。
既存のアプリを使っての出欠確認とメールで送られてくる課題をこなす毎日。

高額な授業料を支払っているのにオンライン授業は行われず、
大手通信教育のアプリを購入しての学習に疑問を感じながらも
娘をフォローしながら過ごしました。

そんな毎日が続いた頃、ふと担任の言動が気になり始めました。

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例えば朝。朝の8時までに出欠確認をするのですが、
入力の無い生徒がいると全員が閲覧するクラスルーム画面に名指しで注意してきます。

出していない課題のある生徒がいると再び
クラスルームに名指しで注意。

オンライン上ですが日直がローテーションで回ってきて
夕方に作業報告が入力および送信されていないとそれもクラスルームに名指しで注意。

それでも連絡のとれない場合は
「誰か個人的に連絡とれる人は〇〇さんに連絡してください」と指示。

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これって個人のアドレスに直接メールするだけで良くない?
メールやクラスルームで連絡がとれなければ電話すればいいだけの話じゃない?
どうして生徒全員に見せて恥さらしのような事をするのだろう…

この思いは最終的に彼女の裏の顔と合致する事となりました。



そして6月。

少しずつ登校が始まりましたが
娘が楽しんでいる様子も友達が出来た様子もなく、
唯一通学路が同じの他クラスの女の子の名前が出てくるぐらいでした。

クラスの様子を聞くと担任の先生が潔癖で疲れると言いました。

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下校時に机の中、左右のフックに何も残してはいけない。

ロッカーの入れ方にチェックが入り、雑だと怒られる。

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他のクラスにそういったルールはなく、
自分のクラスだけが強いられていると言いました。

娘は整理整頓が苦手です。
つまり担任にしてみれば厄介者になっていたのかと思います。

そして娘自身もその状況がストレスになっていたのだと思います。



6月末になり、初めての保護者会が開かれました。

一人ずつ挨拶をしなければならないのですが、
殆どの親があれこれとエピソードトークを始めました。

私はこういう場での挨拶が苦手でしたが
仕方がないので差し障りのない挨拶をしました。
そして…

【余談】

12月になって個人面談を設けなければいけない事態になった際、
担任が本当は6月の保護者会の後、お母様にお話ししたかったんです。

と言われた時、あの時私を見つめていた担任の眼差しは
問題児の親を再認識する眼差しだったんだと虚しくなりました。



私立中学生(2) につづく
# by drunkcat0220 | 2023-02-09 15:12

小学校 6年生(3)

2学期が始まり、運動会の練習が始まりました。
私たちの時代の最終学年はお決まりの「組体操」で
軍隊さながら先生の合図に合わせてピラミッドなんぞを作ったりしてましたが
それも時代の流れとともに危険視が表立ち、
「表現」というなんとも中途半端な演目に様変わりしていました。

運動神経ゼロの娘は短距離走ぐらいしか見せ場がなかったのですが、
最終学年のメインイベント「騎馬戦」で予想外の展開が起きました。
クラス1小さい娘は上に乗っかって帽子を取る役目に。
しかもなぜか副将という大役を受け覆ったのです。

相手の副将は小柄ながら運動神経抜群の女の子。
こりゃ絶対負けるなと思いましたが、「まー最後まで頑張れ」と励ましました。

そして当日。

赤組と白組がそれぞれ大きな旗を持ち、
大きな掛け声とともに運動場の真ん中へ駆けこんできました。

娘は白組。大将の騎馬の横でちっこいながら副将として担がれてます。
大将にマイクが向けられ勇ましい口上が響いたと思ったら何故か娘にもマイクが。
なんと娘も続いて口上を言い始めたのです。

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我こそは、白組○○○○である。
敵組を打つためここに参上つかった。
行くぞ我が白組、底力見せつけてやろうぞ!」
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となんかこんな感じのことを叫び、盛大な拍手をもらいました。

試合が始まり大将と副将以外の全員が帽子を取り合いました。
次は副将同士の対決です。
赤組の副将が両手を挙げて娘の前に立ちはだかりました。
客席もその光景に100%白組が負けると思っていたと思います。

もちろん私も(笑)

ところが。
なんと娘が一瞬の隙をつき赤組の帽子を取ったのです。
本人もびっくりした様子でしたが
その場にいた人全てがびっくりしたかと。

もちろん私も(笑)

小学校に入って6年間。
みんなが娘を褒めてくれた唯一の1日でした。
凹みっぱなしの毎日だったけれど、これをキッカケに流れが変わるかもしれない。110.png


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


と思った私がバカでした(笑)143.png

娘の学校では11月に文化祭があります。

その日はあまり天気も良くなく体育館で開催されていました。
午後から塾があったため昼過ぎに戻ってきた娘。
「楽しめた?」と聞くと「まー普通」と
いつも通りの返事が返ってきたので特に気にもせず
塾の用意をして送りました。

しばらくして学校から電話があり

「○○さんがお友達の靴を持って帰ってるみたいなんですけど」

と言われました。

「はぁ?」

娘は靴なんて持って帰ってこなかったので、
また何かやらかしたのかと焦りました。

「娘は塾に行ってしまったのでちょっと今確認がとれないんですが
持って帰ってはないです」

と伝えてどういうことが説明が欲しいと言いました。
話はこうです。

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まずその日は雨で体育館に入らないといけなかった為、
脱いだ外靴は各自ビニールに入れて持ち歩くルールになっていた。

AとBが遊ぶのに靴が邪魔だから
Cに預けてどこかに行ってしまった。

Cもその靴が邪魔になり娘に預けた。

AとBが帰るのにCに靴を返してもらいに行ったら
Cは娘に預けたと言い、その娘の姿はなかった。
困った2人が先生に相談した。
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と言うのです。
その時点で娘は被害者だと思いました。

それから3時間ほどして娘が帰ってきたので
話を聞いてみると話はこうでした。

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Cが2人の靴を娘に預けてどこかに行ってしまった。
娘は塾があり帰らないといけない時間になってしまい、
しょうがないから自分がいたゲームコーナーを担当していた
見ず知らずの保護者にその旨を説明し、その場に置いて帰った。
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安易に預かってしまった事や
見ず知らずの大人に預けてしまった安易で軽率な行動は反省すべきことかと思いますが、
そもそもの原因はルールを破りパシリのようにCや娘に靴を持たせた
AとB自身の責任であることがわかり
焦っていた気持ちはいつしか怒りに変わっていました。132.png

取り急ぎ内容がわかったので学校に連絡すると
すでに担任はおらず、代わりに学年主任が電話に出ました。

事の経緯を説明し始めるとすでに主任の耳にも入っていたのか靴は見つかりましたと。

怒り心頭だった私が

「娘に非はありません。週明けに登校して娘を責めるようなことはしないでください」

と伝えると

「そんなことしませんよ118.png

と突慳貪に言い返されました。



そして週明けの月曜日。心配でしたが娘に

「気にしなくていいからね。何か言われたらゴメンと一言だけ言いな。」

と言って送り出しました。

夕方帰宅し、話を聞くと

「教室に入ったら2人に校庭の隅に連れていかれて
〇〇のせいで自分たちが怒られたといっぱい責められた」

と言いました。

再び怒りMAXになりましたが、
これ以上話を大きくするとまた娘に被害が及びそうだったので
2人とは距離をおいて付き合うようにとだけ伝えました。

このゴタゴタが11月。
絶対この学校の生徒たちと同じ中学校に行かせないと
心に決めたのはこの時でした。



冬休みに入り元旦から正月特訓で勉強し、
2月に無事私立中学に合格しました。

この時は本当に安堵の気持ちでいっぱいでした。110.png

しかしいざ入学説明会に行ったりしても居眠りを始めたりと娘はあまり乗り気ではなく
制服の採寸も終始面倒くさそうな態度で、
周りでニコニコしながら制服の採寸をしている母子を横目に寂しい気持ちになりました。



そして3月。
この頃からじわじわとコロナウイルスが拡がりを見せ始め
卒業式は在校生も不参加、祝辞もなし、卒業証書も読まずに受け取るなど、
盛り上がりのない静かな卒業式となりましたが無事に小学校生活を終えました。

この時はこれから起きる壮絶な1年間のことなど微塵にも考えておらず、
娘の新しい未来を期待し、幸せを感じていたのでした。



中学生(1) につづく
# by drunkcat0220 | 2023-01-13 14:34

小学校 6年生(2)

そんなこんなで「発達障害」のお墨付きをもらった娘は
最終学年を迎えました。

本人へ具体的に説明するかどうか迷いましたが
一通り自分のおかれている状況を説明しました。
理解できたかどうかはさておき。

「特別支援教室」へ入ると個々のファイルが作られ、
指導内容とカウンセラーさんからのコメントを
毎回持ち帰ってきます。

そして凹みます。145.png

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今日は〇〇が出来ませんでした。
これから少しずつ出来るよう指導していきます。
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みたいなコメントが毎回続き、
それに返事を書かなければなりません。
仕事から帰ってきてこれを読み、凹み、
そして「申し訳ございません。宜しくお願い致します。」
と返事を書いて渡す。
なんだかダメだしされているだけのような気がして
当人のモチベーションがさらに低くなるのではないかと
心配になりました。

言ってる間に2か月が過ぎ、
無事に(?)認定され正式に(?)カリキュラムが始まりました。

そして修学旅行。
5年生の時にひと騒動起こしたので心配がつきませんでしたが
大きなトラブルはなく無事に帰ってきました。

ボッチなりに「校長先生と黒曜石を拾ってきた。」
などとわずかな思い出話をしてくれただけでも有難いです。

数日後の写真購入では集合写真以外
ほぼ写っていませんでしたが…103.png


【余談】------------------------------------
小学校1年生ぐらいから鉱石や天然石に興味を持ち、
6年生ぐらいまでお小遣いで集めていました。
その種類や特徴についてはそれなりに博学になり
そういう分野に進むのもいいんじゃないか。
と思っていたら中学生になりすっかり熱も冷め、
ただのアニヲタに変貌していきました。105.png

以前、発達障害をカミングアウトした方の著書にも
同じように鉱石に興味を持ったことが書かれていたので
そういう特性があるのかもしれません。
私の主観にすぎませんが。
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そして夏が来て
夏休みは朝から晩まで夏季講習とテストに追われました。
ラストスパートの夏は怒涛の忙しさで
トラブルを起こす間もなく過ぎ去っていきました。


【今になっての反省】

小学校3年生の夏ぐらいから塾に通い始めた娘ですが、
6年生になっても課題やテスト範囲を計画的にこなせず、
私や主人がプリントに目を通して
必要なものはコピーを取り準備し、
やっと点数がとれるような状態でした。

WISC-IVを受けた際の説明で
「○○さんは通常のお子さんより2年ほど幼いと思って下さい」
と言われたことを今になって思い出し、
4年生レベルでこなすのは無理があったんだなと。120.png

これを書いている今、娘は中学校3年生で
まさに高校受験を控えて大変な時ですが、
それなりに自分で考えて課題やテスト勉強をこなせるようになってきました。
もちろん偏差値はびっくりするほど落ちましたが105.png
そのレベルが彼女のキャパなんだと理解するようにしています。

この話はまた中学校3年生の時にあらためて。


6年生(3) につづく


# by drunkcat0220 | 2023-01-10 16:52

小学校 6年生(1)

5年生の学期末に診断結果を持って再び学校へ赴きました。
今度は担任の他にカウンセラーの先生がいらっしゃいました。

診断結果を見せて驚かれるかと思いきや、
日常茶飯事のような様子で目を通し
今後の対応について話し合いが始まりました。

学校内には「特別支援教室」というものがあり、
いわゆる発達障害の子供たちをフォローし、
いわゆる健常者の子供たちと共存できるよう指導される場所でした。

そこへ娘を通わせてはどうかと言われました。

以前から存在は知っていましたし、
そこへ通わせるお子さんの親御さんは不安だろうなと
他人事に思っていた自分。

まさかその当事者になるとは思いもしませんでした。
そして通っているお子さんたちに対して「可哀想」という気持ちで
接していた自分を恥じました。

自分の娘を含め、一見すると何の問題もなく生活している子供たちが
目に見えないところで苦労しているんだと初めて知りました。

正直ショックだった自分。
しかしそんなことは言ってられません。
何とか中学へ入る前に少しでも友達とのコミュニケーションが
とれるようにしてあげたいとの思いでお願いしました。

が。

この時点で申し込んで(2月半ば)から6月までは
通えるもののプレ扱いで大した指導はできませんとのこと。

年に2回ある委員会で認定されて初めてカリキュラムに
基づいた指導ができると説明を受けました。

いやいやいやいや。105.png

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では6年生の夏から始めて半年足らずの
指導ってことですか?(汗)
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そうですね…
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意味あります?105.png
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やらないよりかは…
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ははは(失笑)

てなわけで「とりあえず」状態で娘は週に1~2回、
通常授業を抜けて特別支援学級なるものに通うこととなりました。

最初は通常授業から外れてしまい
クラスの子供たちからからかわれたりするのかなと
多少の心配はありましたがさすがこのご時世、
クラスに5~6人通っていたみたいで何の問題もありませんでした。
それよりも30人弱のクラスで約5割の子供が
生き辛い思いをしているのかと思うとなんだかやるせなくなりました。

一昔前の私たち世代には目に見える発達障害はあっても
目に見えない部分での発達障害はなく
ちょっと変わったお友達程度の認識で重く受け止めていなかったし、
もちろんそのまま大人になっていったわけで。

どちらが子供にとって良いのか悩みますが、
とりあえず今はこの対応が「普通」なんだということでしょうね。


【今になっての反省】

5年生の大事件があってから
娘を塾へ通わせることはやめて通信に切り替えました。

週末の定期試験や統一テストなどには行かせましたが
基本自宅でオンライン授業。

娘の問題行動が性格によるものではないと分かった以上、
学校だけでもコミュニケーションで苦労しているのに
塾でさらに違う友達とコミュニケーションがとれず
ストレスを与えたくないと思ったからです。

あとは進学塾でしたので6年生から中学受験に向けて
他の友達が頑張っている中、何か問題を起こして
迷惑がかかってしまったら困るという親の勝手な保身です。140.png

本当はこんな考え方よくないんでしょうね。
でもその時の私にはこれ以上問題をおこして欲しくないという
自己都合な考え方しかできなかったんです。145.png

6年生(2) につづく


# by drunkcat0220 | 2023-01-09 11:11