2021年 04月 07日
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【番外編】 私立中学の実態
バタバタしていて更新できませんでした。
先週末にギリギリ手続きが終わり、
今週何とか転学先の公立中学で始業式を迎えられました。
2年間、トラブルがない事を祈ります。
転学に関するお話は時系列に沿って
改めて書き記すつもりですが、
それよりも今回の転学に対応した私立中学の実態が
あまりにもショックだったので
番外編としてお伝えします。
最終的に学校自体の方針なのか、
担任の個人的攻撃なのかは定かでないまま退学したのですが。
まず事の発端は娘の問題行動が原因ですので、
それに関しては深く反省し、
このような結果になった事も重く受け止めております。
入学してすぐに担任に対する不信感を持ち始めたのは
コロナで緊急事態宣言が発令された4月の事でした。
自宅学習となり、オンラインで出された課題をこなして
メールで提出する授業だったのですが、
朝の出席点呼不在から課題の提出漏れに至るまで
全てクラス全員の掲示板に名指しで書き出され指摘されました。
しかも嫌味たっぷりのコメント付きで。。。
個々に連絡がとれるわけですから、
個々に不備等連絡すればいいだけの事なのに。
あからさまにさらし者にする性格の悪さに嫌悪感を抱きました。
登校が始まった2学期では
小テストで他クラスより成績が悪いと怒るそうです。
あきらかに自分の株を上げることしか考えていないと思いました。
そして3学期。
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娘が問題行動
↓
事実確認/この時担任が自主退学を本人に勧める
↓
処分通知/退学処分ではなかったが担任が娘に「通学を続けるのであればクラス全員に話をする」と脅す
また修了式は休んでも構わないと言われる
↓
修了式欠席後、担任から電話がかかってくる
上記対応に娘が傷つき自主退学すると伝えると「それは全て娘が退学を望んだからだと言い返される」
娘なりに責任を感じて退学を覚悟していると伝えただけなのにそれを逆手に取る担任に呆れて自主退学を決める
↓
翌日(平日)日中自宅に電話があり、娘に直接今日の19時までに捺印が必要と伝える(有り得ない)
娘が私と主人に連絡をとりその旨を説明する
捺印理由として4月分の引き落としを止めるのに間に合わなくなるのでとの事
お互い仕事で行けるわけもなくその後電話で明日の午前中で間に合うと言われる
↓
学校へ行くと引き落としが間に合わなかったとの事を伝えられる(来た意味がない)
その場で退学理由を書かされる(多分余計な事を書かれない為に呼び出したと思われる)
担任に勧められたからだと伝えると、担任ではなく学年主任が狼狽して全否定する
↓
その後受け取った期末テスト結果で唖然とする
娘の英語2教科だけがクラス最低点になっていた
補足1:担任は英語担当
補足2:1つは47点(学年最低点7点)もう1つは57点(学年最低点17点)
うちのクラスだけ英語の成績が高すぎる
明らかに改ざんして娘の点数を最下位にしたとしか考えられない
娘の問題行動の比ではない
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ざっと書くとこんな感じです。
発達障害の事は事前に学校側へ伝えておりました。
でもこの対応です。
進学校に発達障害児の居場所はないんですね。
今、娘は公立中学に温かく迎え入れられ心機一転頑張り始めました。
もちろん発達障害の事も親身になって対応して頂いてます。
2025年 04月 21日
高校3年生(1)
娘の学科は1クラスしかないため、クラス替えはありません。
クラスには女子生徒が5人だけですが進級するごとにハブられていき、
普段から一人で過ごしています。
ただ男子生徒はそういったことに無関心なのか、
つるみもしない代わりにハブる事もなくグループに入れば相手をしてくれるそうです。
そんな中、修学旅行がありました。
幸いグループ行動には他の女子生徒がいなかったため、
案の定、今回も帰ってきてからあからさまにハブられたことを話し始めました。
1日目
部屋風呂は最期。
布団が4組にベッドが1組の部屋で娘だけベッド(これに関しては居心地が良かったみたいですが)
勿論口をきくことはありません。
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2日目
自分が差していた充電用アダプターを勝手に抜かれて違う女子生徒のアダプターを差される。
USBの口が余っていたのでそこで充電しようとしたら
「勝手に使うな!」
と怒鳴られる。
大浴場は一人で入りに行く。
洗面台は4人が占拠して使えないから手鏡でセットする。
勿論口をきくことはありません。
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3日目
2日目同様、差していたアダプターは抜かれて同じ女子生徒のアダプターを差される。
娘が昨日同様の行動をおこす(同じ失敗を繰り返すのは発達障害の特徴です)と
「勝手に使うな!昨日も言っただろ!」
と再度怒鳴られる。
大浴場は一人で入りに行く。
洗面台は4人が占拠して使えないから手鏡でセットする。
部屋がせまい理由で4人は横並びに布団を敷き、娘の布団だけ4人の足元に敷かれていた。
娘は4人の足元で寝る気になれず、しばらくは毛布を抱えて窓際のソファーで過ごしていたそうです。
勿論口をきくことはありません。
聞いているだけで悲しくなりましたが、娘は「私も4人が嫌いだから別にいい」と割切り、
グループ行動や観光地での食事をそれなりに楽しんで帰ってきました。
高校卒業後、娘は進学を希望しています。
これからもこういった状況に陥ることは避けて通れないかと思います。
心配し、翻弄されている親を後目に娘はこう言いました。
「バイト先や修学旅行で関わった大人達は褒めてくれるから別に大丈夫」
発達障害の生き辛さと付き合いながらいつの間にかたくましく成長した娘。
私は「自分に自信をもって生きなさい」「今の性格を変える必要はないから」と伝えておきました。
2025年 03月 24日
たった90日で実家が崩壊した件(16)<近況報告>
特養から1通の封書が届きました。
残りの人生を穏やかに過ごせるようケアをさせていただくこと
と言った文章が書かれており、同意のサインが必要でした。
考えてみればここ半年、面会で父が起きていることはなく
1日かけて帰省し、父の寝顔を見て帰るだけでしたので驚きはしませんでしたが
母が他界してわずが2年で父との別れも近づいてきていると思うと切なくなりました。
ここで奇跡が起きたのです。
部屋に案内され、看護師さんが父の耳元で名前を呼ぶと目を瞑ったまま返事をしました。
いつもであれば返事をしてもすぐに寝てしまっていたのですが
この日は看護師さん呼びかけた後、私の声にも反応してくれたのです。
「お父さん!」
「はい!」
「お昼ごはん食べた?」
「はい!」
「おいしかった?」
「はい!」
見えてはいないと思うけど、少しだけ薄目を開けて返事をしてくれました。
とは言ってもこの後すぐに寝てしまったんですが。

父はこの1年で徐々に老いていきました。
食欲はあるものの、固形物は流動食がメインになり、
リクリエーションの時間は車椅子ではなくベッドのまま移動していました。
睡眠時間も長くなってきているそうです。
ただ脈拍が下がっているなどの緊急性があるわけではなく、
少しずつ老衰していく状態(ターミナル期)に入ったため
身内の方に現状と今後の対処方法をお伝えしご理解いただくために
皆様にお送りしているものだと説明をいただきました。
2年前に突然壊れてしまった父。父の人生は楽しかったのだろうか。
今となっては確認することも出来ませんが、
少なくともこの1年間は若い看護師さんたちから手厚い介護を受けて幸せだったよね。

2025年 02月 18日
高校2年生(1)
娘はなんとか高校2年生も3学期まで在籍することができました。
しかしながらまだまだ予断は許さず、同級生のお母様方から時折
「〇〇ちゃん、数学の授業中に携帯ばかり見てひどく怒られたらしいよ」
とか
「〇〇ちゃん、国語の小テストで答え移しててひどく怒られたらしいよ」
とか
いつの間にか私自身もたくましくなったもんだと思う今日この頃。
あと1年、なんとか卒業さえしてくれれば将来生きていく上で少しはハードルが下がるかなと思いつつ、
今までを見ている限り、そう簡単に事が運ぶとは思えない。
彼女を育ててきて学んだ教訓は「ケセラセラ」。
なるようにしかなりませんよね。www
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余談ですが、先日娘に誕生日プレゼントをもらいました。
ささやかな幸せ。
2024年 10月 03日
たった90日で実家が崩壊した件(15)
私も娘が受かった高校の入学説明会や制服採寸などを済ませ、
気付いたら2月も終わりになっていました。
兄と四十九日の日取りを相談していたのですが、
お互いの予定とご住職の予定を確認すると、3月初旬でないと都合がつきませんでした。
そういえば葬儀の時に親戚から四十九日の話が出た際、
「三月(※)またぎは縁起が悪いからね」
と言われた事を思い出し兄に伝えると「このご時世そんな縁起担ぎは必要ない」
とご住職に言われたと言い、3月5日(日)に執り行う事に決めました。
※ 三月(みつき)→身付(みつき)→身に付く 四十九日と合わせて「始終、苦(しじゅうく)が身に付く」
親戚に嫌味のひとつでも言われるかなと思いつつ連絡したのですが。
いざ連絡すると都合のつかない親戚が何人もいて、
結局集まったのは私たち家族を含めて10人足らずでした。
受験で葬儀に出席出来なかった主人と娘は昨年末に帰省したところで時が止まっており、
特に娘は遺影と骨壺を前に感情移入が出来ない様子でした。
一番前に兄夫婦が座り法要が始まりました。本来であればあの場所に父が座っているはずなのに…
慎ましやかに法要を終え、実家近くで夕食を済ませた兄夫婦と私達5人は実家へ戻りました。
誰もいない実家。
母の湯飲み。父の寝間着。
何もかもがそのままで、今にも父と母が出迎えてくれそうでした。
でもここに父と母が戻ってくることはありません。
こうして昨年12月に綻び始めた実家は、たった90日で崩壊したのでした。
--------------------------------エピローグ--------------------------------
あれから2年の月日が流れ、娘は高校2年生になりました。
兄は月に1度、私は隔月に1度。
父の見舞いを兼ねて実家を訪れ、少しずつですが実家を片付けています。
父は入院してから日を追うように壊れていきました。
入院直後は歩いて面会室まで来ました。
母が会いに来ないと怒り、逃げ出したいと愚痴をこぼしました。
2か月後には車いすになって私がわからなくなりました。
様相も覇気がなくなり、腕には意味深な青アザがありました。
私は心配になって小さな声で「これって縛られたりしていない?」と聞きましたが
兄は「一概には言えないし、徘徊がないとも限らない」と事務的に無感情で応えました。
さらに2か月後には鉛筆も持てなくなりました。
もちろん字も書けなくなっていました。
会話が成り立たなくなり、無精ひげを生やし、食べこぼしもそのままでした。
私は東京都八王子市にある精神科病院のニュースを思い出し、不安だらけになりました。
さらに2か月後にはベッドから落ちて危ないとの事でヘッドギアを装着されていました。
さらに2か月後には車いすからずり落ちそうになり、座っている事もままならないようでした。
さらに2か月後にはベッドのまま面会室に来ました。
この頃には話をすることもなく、寝ているだけになりました。
体はやせ細り、大きなベッドの中で体を縮めて小さくなっていました。
病院に入れば回復すると思っていた私の考え方は全く間違っていました。
異常行動を伴いながらも感情表現豊かで時折笑っていた父は
入院してたった1年で植物人間のような状態になってしまったのです。
1年が過ぎた頃、病院側との面会がありました。
父の状態が寝たきりで精神科治療を要する状態ではないとのことでした。
つまり特養などの介護付き老人ホームへの転院を促されたのです。
この判断は私にとって朗報でした。
地下1階の窓もないよどんだ空気のこの場所で天命を全うさせることだけは避けたい。
院長がいくつか紹介出来る特養があると言っていただいた中に
この病院の最上階に併設されている特養がありました。
そこなら病院内で転院作業が行えるとのことで、見学させてもらうことにしました。
エレベーターで7階まで上がるとそこには先ほど面会していた場所からは
想像も出来ないほどの景色が広がっていました。
四方から陽の光が差し、空が見え、フロア全体が見渡せるほどのオープンスペースとなっていました。
兄も私もその場で気に入り、空きがないか調べてもらうことにしました。
するとタイミングよく1床だけ空きがあるとのことで、その場で転院手続きに入りました。
週明けには転院されることを確認し病院を後にしました。
そして2か月後。
面会した兄と私は驚きました。
縮こまっていた四肢を思う存分のばし、洗い立ての入院着を着て、
髭もキレイに剃ってもらい、散髪もしてもらった肌つやの良い父が大きなイビキをかいて寝ていたのです。
そして部屋には心地よい太陽の光が差し込んでいました。
看護師さん曰く、来て2日ばかりは怖がっていたけれど今は会話も出来ますよって。
本当に?
それから半年ほどになりますが、今の父は見違えるほど元気になりました。
壊れた記憶は戻らず、母の死や兄や私の事は理解できていませんが、
自分の名前を理解し、自分で食事を摂り、機嫌がいいと歌を歌うそうです。
辛かった1年だったけれど、これからは長生きして穏やかな余生を送ってもらいたい。
母の遺骨は本人の望み通り京都のお寺へ永代供養しました。
兄が納骨し、私はまだ手を合わせに行けてないので近いうちに母に会いに行こうと思います。
行って父のこと、実家のこと、そしてたくさんの思い出話をしたいです。
このブログはここで一旦終わりです。
2024年 09月 09日
たった90日で実家が崩壊した件(14)
午後、兄から父が入院した連絡を受けました。
MRIの結果、脳の血管が詰まりいくつかの機能が働いていない事で生じる
「脳血管性認知症」と診断されました。
原因として食生活の乱れにより水分をあまり摂取しない生活が続いた事で慢性の便秘となり
結果、血液の循環が悪くなり脳血栓を引き起こしていると。
検査の後、再び診察室へ戻った途端「ではこのまま入院という事で」と伝えられた父。
この頃、東京都八王子市にある精神科病院の「滝山病院」で起きた
患者虐待のニュースが連日報道されていたので、
父が精神科の病院へ入院することになって焦りと不安を感じました。
私に連絡してきた兄は
<この選択で本当に正しかったのだろうか>
と自問自答を繰り返し、置いてきた自分を責めていました。
私もまた、こんな事になる前に引き取ってあげれば良かったのではないだろうかと思い始めましたが、
現実として同居すれば家族は必ず崩壊する。
どうすることも出来ず後悔と懺悔をくり返す私たち兄妹にケアマネージャーが
「親を思う気持ちも大切ですが、それよりも自分の家族を大切にすることが大事ですよ」
と慰めてくれました。
母の入院準備が大変だったことを思い出し、私は兄に何か準備するものはあるか聞きました。
兄曰く、精神病院の入院は私物の持ち込みが禁止だそうです。
理由として精神に病を抱えている患者たちは私物と他人物の区別が出来ず、
人の物を勝手に使ったり、持って行ったりとトラブルになってしまうからだそうです。
そんな状況の病室に入れられている父をとても可哀想に思いましたが、
その父が人の物を勝手に持っていく可能性も十分ありうると考えると胸が痛みました。
2月2日(水)
今日は公立推薦入試合格発表の日。
娘はさほど緊張した様子は見られませんでしたが、
私はこれまでの学校生活を振り返り、
娘が初めて自分から行きたいと思った学校なので
受かっていて欲しい気持ちでいっぱいでした。
発表は8時30分。
3年前に同じ入試サイトから私立中学の合格発表を確認し、
大喜びで抱き合った記憶がまだ鮮明に残っています。
あの時再びこのサイトを開けることになるとは思ってもみませんでした。
8時29分。
ドキドキしながらマウスをクリックしました。
<●●高等学校 ●●科 合格おめでとうございます>
受かった!
3年経った娘は少し大人になっていて抱き合うことはなかったけれど、
一緒にハイタッチをして喜びました。
入学手続き書類を受け取ってから中学校へ報告に行く事にし、私と娘は高校に向かいました。
学校の正門まで行くと、合格者が張り出されているボードが見えました。
改めて自分の受験番号を確認し、2人で喜び記念撮影をしました。
3週間前まではその場で実家へ電話して父と母にこの喜びを伝えるつもりだったのに…
こんな幸せな日なのに電話をしても誰も出なくなった実家を思い浮かべながら
入学手続きの日と父の見舞いと母の四十九日の日取りを考えている自分がやるせなくなりました。
この日から私は隔月で新幹線に乗り、父の見舞いに行く生活が始まりました。
そしてもう誰も住むことのなくなった実家を片付け始めました。
たった90日で実家が崩壊した件(15)につづく